a life like a movie

My life is like a movie

私のプログラマーの言葉

彼とは既に10年近くインターネットを通して一緒に仕事をしているけど
この言葉にはうなずける

最初の1、2年は、
『またまた、そんな話はありえない、作り話っぽい!きっと、仕事をサボる為の言い訳にちがいない!』
とか本気で思った事も多々あった

でも、2回ほど実際にあってみて、人柄も今なら分かる
そして何年も一緒に仕事をしてきて分かるのが、彼が言い訳するタイプでは無いということ

私も彼も、『あ~だ、こ~だ』と言い訳しない
仕事だし、お客さんが居るし、問題がおきようが何が起き様が、
私達2人が対処し、解決しない限りは先に進めない

『私達に不可能の文字は無い』といっている訳ではないけど
自分達の仕事を通してGIVE UPはした事が無いと2人とも胸を張っていえると思う
こういう2人だから一緒に仕事してこれた

そんな私の仕事のパートナー(一応私がEmployerだけど、、)
彼の人生、映画みたいって言われても納得できる
時に悲惨な事が起こっても、それをまた
『また映画のような事態が起こってんだ、きっと君は信じないだろうけど』
って言われると、何故か信じられてしまうのも、彼の様々なドラマを今まで聞いてきたから

彼はトルコ人で、
実はオスマントルコの古~い家系の本家の長男だったりする

お父さんが外交かなにかの関係だったらしく、小さい頃は色々な国に住んでいて
6ヶ国語は話せるらしい、ちょこっとはなせる書けるという言語を入れると9ヶ国語

宝石鑑定の免許を持っていて、プログラマーになる前にはトルコで宝石商をしていたり
他にも2、3ビジネスをやっていたと聞いた
頭は良いし、何でも自分でやった方が早いと思っている人なので
成功はするんだけど、カスタマーとのコミュニケーションがネックになってしまうみたい

それでComputer Sienceを勉強してプログラマーになって
トルコにいた時にMSNのチャットコミュニティーで知り合ったエストニア人の女性に会う為に一回エストニアへ
そして、2回目に彼女に会いに行って結婚してエストニアに移民してしまったという、、、、、

今でこそエストニアはEUの一部だからいいけど
彼が結婚した時はまだEU参加が認められる前で、旧ロシアの色がまだまだ色濃く残っていたそう
結婚して永住権が取れるまでは、『秘密警察が僕を捜している!』なんて言っていた時期もあった

多分2年ぐらいは、エストニア語の発音がなかなか出来なくって、苦しんでいたと思う

そしてエストニアは北欧の国
初めは都心部に住んでいたのだけど、郊外に土地を買った!といって移り住んだ一軒家
周りは広大な土地が広がっているので、真冬は風&雪をさえぎるものが無く
本当に寒い時は零下30℃近くまで下がるらしい (想像できない、、、)
一冬なんて、あまりの寒さに猫は死ぬし、寒さで窓が割れた時があって、
毎年冬になると、『彼と彼の家族に何かあったら』と本当に心配が絶えない私

私が彼と知り合ってから、彼は結婚して、3人の子供が出来て、
ビジネスへの責任もあるけど、ある意味彼の家族も私がしっかりしていないと、支えられない
というのが、一番根底で私のガッツを支えてくれているような気がする
彼も、彼の家族も私にとっては家族のようなもの

そして、4、5年前
『大変だ、僕のおじいさんが無くなって、なんと彼は彼の遺産を全部僕に残したんだ(><)』
となんとも悲壮な感じが伝わってきて
『何が問題なの?』と聞けば
何でも彼の家系はトルコのオスマンの古い王家の家系らしい??
そして、トルコのある目抜き通りの土地を十数キロに渡って所有していた彼のおじいさんは
その土地を始め、全ての遺産を遠い異国の地にいる孫に残したとの事
その資産価値は3~4億円らしい

つまり、彼のお父さんをスキップして彼に遺産が来たのは、
おじいさんが親族の遺産争いを避けたかったかららしい
古い家系だけに、土地に依存している家族、親族も多く
これがお父さんに言ったら様々な争いも起きかねないと踏んだおじいさん
外国にいる彼なら大丈夫だろうと、、、遺産を彼に残したわけですが、、

なんと、そこには条件が一つ
『彼はに譲られた遺産は彼の子供の代になるまで如何なる変更も許されない』

そう、彼は遺産管理人として遺産を譲られたわけです

トルコの親戚から毎日のように電話がなり、
弁護士さんがトルコから飛んできて色々な書類を整理して
『全くおじいさんも僕が外国にいて僕なら平気だろうと思ったに違いなけど、僕としては大変だよ。
まあ、子供のことを考えると彼らにとっては悪くないけどね』

まあ、そんな彼の人生の経緯の他に、
事故にあったり、足の骨を折ったり、お酒が弱いくせにエストニアンとウォッカを飲みすぎて泥酔してしまったり
まあ、毎月飽きる事無く、平穏な日々とは程遠いところから暮らしている彼

先週は、奥さんのひいおばあちゃんが無くなったそうで、いくつ?と聞いたら
『確か、114歳ぐらい』
だそう、、、、、さすが、エストニア
にんにくは薬として食するぐらいで、香辛料、塩、ハーブなどは料理に使わない国らしい

そして、エストニアでは人が亡くなると、
飲み続けてパーティーみたいになってしまうのらしいのです (少なくとも彼の地域では)
3日3晩、奥さんは親戚などと飲み続けていて
奥さんが誰かに、車の鍵渡したら、
酔っ払った人たちが乗り回して、車は再起不能となるまで崩壊状態になったらしい

本人、もうあきれ果てて、『You know... my life is like a movie』
『信じないだろうけど、しかじかで車を乗り捨てられたところまで取りに行かなくちゃ行けないんだ』
といって、仕事にこれなかったわけです

まあ、10年前だったら、信じなかったけど
今は、何があっても信じられる

まあ、信じるというか、
これも彼との歴史の積み重ねで、信じられるようになっただけ

私も彼も、
人生巡り巡って他国に渡り、結婚して、
そこでインターネットを通して
第3国に住んでいる人と顔をあわせる事も無く10年近く一緒に働いている事考えると
大抵の事には驚かず、受け入れられます

人生どうなるか分からないですね

 

 

 

 

 

 


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